毎日がポニトレ日和

愛知在住。大学生の備忘録。

けものフレンズとは何だったのか

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アニメ「けものフレンズ」が一世を風靡したのは一年半程前の話だ。


初めは、決してクオリティの高いとは言えないCG、なんだかよくわからない空気感の1話の評判がメジャーで、どちらかといえばネタアニメとして名を馳せつつあった。


しかし、話が進むに連れて、むしろそのCGが癖になっていったり、たのしー世界の中に垣間見える不穏さが受けたり、「けものはいてものけものはいない」という歌詞にも見られるような優しい世界観が疲れた人々にウケたりしたのか、覇権アニメとして名を馳せていった。多くの日本のアニメファンがけものフレンズの虜となっていった。


私もそんなけものフレンズファンの1人だった。


当時大学受験を控え、心身共に疲弊していた私は、週に一度訪れる放送日を心待ちにし、放送の度に癒されていた。

サーバルちゃんのような運動神経がなく、落ち込むかばんちゃんに対してサーバルちゃんが放った、「へーきへーき、フレンズによって得意なことは違うから」という言葉に感動し、現実もこんなふうに言える人(?)ばかりだったらいいのにな、と本気で思っていた。

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↑かばんちゃんに手を差し伸べるサーバルちゃん


とはいえ、けものフレンズの世界にも敵役が存在する。それが「セルリアン」だった。

セルリアンがどういう存在かの説明はここでは省くが、第11話にて、サーバルちゃんを庇ったかばんちゃんがセルリアンに吸収されてしまい、最終回に続くという衝撃の展開が訪れ、けものフレンズファン達はかばんちゃんの生死を心配し夜も眠れないという状態が1週間続いた。


そうして訪れた最終回。サーバルちゃんとかばんちゃんが今まで出会ってきた「フレンズ」達が集合し、協力してかばんちゃんを助けるべくセルリアンと戦い、見事かばんちゃんを助け出したのだ。f:id:pony_training:20180903230806j:plain


私は泣いた。

「フレンズ」達の築いた「絆」に心からの涙を流した。恐らく画面の前の「フレンズ」達も同じ涙を流したことだろう。


そんなこんなで大好評のまま「けものフレンズ」は終了した。ラストシーンには薄い字で「つづく」と書かれており、全国のフレンズ達は続編を心待ちにした。


そして今日、アニメ「けものフレンズ」の続編の公式発表があった。当然、全国のフレンズ達は喜びの涙を流した。


はずだった。

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この動画の評価欄を見てほしい。


低評価の方が圧倒的に多い。


何故だ。


ご存知の方は多いだろう。「たつき監督降板騒動」が全ての原因だ。


詳しくない方向けに説明しておく。もともと「けものフレンズプロジェクト」はアニメが始まる前にゲーム、漫画にも手を出していた。が、そのどちらもうまく行かず、アニメもあまり期待されていなかった。

その予想に反して、けものフレンズのアニメは大ヒットした。そんなけものフレンズのアニメの監督がたつきさんだ。

優しい世界観の生みの親、アニメけものフレンズの監督として、「フレンズ」達からたつき監督は神のように扱われた。最終回話放送後のけものフレンズ第1話の動画は「たつきありがとう」のコメントで埋まった。


そんなたつき監督が、けものフレンズの監督から降ろされてしまった、とツイートした日を境に、「フレンズ」達は「フレンズ」達でなくなった。


当人たちのみぞ知る、なので私は誰を責めるつもりもないが、KADOKAWAたつきさんに監督を下りるよう命じたそうだ。


それを聞いた元フレンズ達は怒り狂った。たつき監督のいないけものフレンズなんてけものフレンズじゃない。そんなアニメは見ない。KADOKAWAの陰謀だ、KADOKAWAたつき監督をのけものにしようとしている。などなど。


最早フレンズではなく教徒だ。

けものフレンズ」というアニメ作品でなく、たつき監督という人物を信奉し暴れ回る元フレンズ達が大量発生した。


もともとけものフレンズは優しい世界観、フレンズ達の友情がウケたアニメだ。綺麗な世界を見せていた人々が実は汚い世界の中に生きていた。そう感じて、「けものフレンズ」という作品に対して冷めてしまった元フレンズ達もいた。


そんなこんなでアニメ「けものフレンズ」に対する不信感が収まらぬ状況でけものフレンズ2期は発表された。


歯に衣着せぬ言い方をすれば、私もけものフレンズに対して冷めてしまった。あの頃の私はなぜあそこまでけものフレンズに入れ込んでいたんだろう。


思えば、やはりけものフレンズは一種の宗教みたいなものだったんだと思う。当時のネットはけものフレンズで大盛り上がりだった。その中に自分もいるという一体感。それがけものフレンズブームの根底にあったのではないか。今はそう思わざるを得ない。


今、たつき監督を信奉し、ネットで暴れている人たちもきっと一体感が欲しいのだろう。人は、皆「フレンズ」を求めている。


「けものはいてものけものはいない」現実世界は、残念ながらそんな世界ではない。しかし、人は1人では生きられない。だから自分も「フレンズ」の一員になりたがるんだ。


アニメ「けものフレンズ」及びたつき監督降板騒動から、私はそんなことを考えた。


けものフレンズに冷めてしまったとはいえ、私はけものフレンズ2期を視聴するつもりだ。

私は「けものフレンズ」が好きだった。監督が変わってもあの世界は健在だろうか。


きっと難しいだろうなぁ。